縄文時代後期の墓坑から出土しました。耳の形を模した土製品で大きさは実際の耳と同じくらいで、全国的にも珍しい土製品になります。
みよた歴史のみち
浅間山の広大な裾野に位置する御代田町には古代から重要な幹線道路が通っていました。古代には東山道が通過しており、鋳師屋遺跡群は東山道と密接な関わりがあったと考えられます。
野火付遺跡から出土した埋葬馬(町指定文化財)は、塩野牧で生育され東山道の駅馬として活躍した可能性があります。
野火付遺跡の埋葬馬
江戸時代には中山道や北国街道が整備されました。「御代田の一里塚」(県史跡)や「馬瀬口の一里塚」(町指定文化財)では当時の面影をしのぶことができます。
御代田の一里塚
馬瀬口の一里塚
また、中山道の宿場である小田井宿は、尾張徳川家をはじめとした諸大名が休泊に利用しました。とくに姫君などの女性が多く休泊した事から「姫の宿」とも呼ばれています。天保14年(1843年)の記録では総戸数107戸で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒という規模でした
小田井宿
明治21年(1888年)12月1日には、信越線御代田駅が開通しました。しなの鉄道に変わった現在でも多くの人に利用されています。
D51 787号機
D51 787号は、昭和18年(1943年)9月29日に誕生しました。デゴイチと親しまれているD51の総計1115車両の中で787番目に製造されました。炭水車まで含めた全長は19.5m、重さは113トンあります。昭和18年から昭和46年(1971年)までの間に全走行距離187万5071㎞を多くの人や物を乗せて走りぬけました。
しかし、国鉄(現在のJR)による無煙化の波にのまれ現役を引退することになりました。そして昭和46年3月29日に役目を終えたD51 787号は、4月23日午前5時25分にスイッチバックなどで思い出深い御代田の地に安着しました。
浅間山へのいのり~真楽寺~
「甲賀三郎伝説」で知られる真楽寺は、浅間山信仰にゆかりが深い古刹です。仁王門、仁王像、観音堂、神代杉、寺叢は町指定文化財に、1751年(寛延4年)に建立された三重塔は長野県宝に指定されています。
また、仁王門にある仁王像2体は1395年(応永2年)に製作されたものである事が像内部の墨書から判明しています。
神代杉
三重塔
大沼
みよたの埋蔵文化財
耳型土製品(滝沢遺跡出土 町指定文化財)
耳型土製品
滑石製ペンダント(滝沢遺跡出土 町指定文化財)
縄文時代後期の墓坑から出土しました。滑石製でイモガイを模して作られたと考えられます。表面に赤いベンガラが付いており、かつては真っ赤なペンダント状の飾りであったと考えられます。
滑石製ペンダント
直刀・短刀と馬具(めがね塚古墳出土 町指定文化財)
古墳時代の終わり(7世紀後半)に築造されためがね塚1号墳から出土しました。全長92㎝を誇る直刀や短刀3振の他に轡と呼ばれる馬具が出土した事から埋葬者が馬の牧経営に関わったと推察されます。
直刀・短刀
馬具
初期須恵器(前田遺跡出土 町指定文化財)
古墳時代(5世紀)の須恵器。須恵器生産が国内で始まった頃に陶邑窯(大阪府)などから当地域にもたらされたと考えられます。手前の1点がフタ、残りの2点がハソウと呼ばれています。
初期須恵器
円面硯(前田遺跡出土 町指定文化財)
平安時代(9世紀)の須恵器製の硯。現在一般的にみられる方形の硯とは違い上面の円形部分で墨を磨っていました。当時は、文字を書ける人が少なく貴重な考古遺物です。
円面硯
火熨斗(川原田遺跡出土)
平安時代(10世紀初頭)の銅に鉛などを含んだ合金製の火熨斗。火熨斗は、現在でいうところのアイロンと同じ機能をもった道具で全国的に出土例が少ないです。
火熨斗
資料写真は小川忠博氏による撮影(火熨斗を除く)
みよたの祭り
草越の寒の水
毎年大寒にあたる1月20日に行なわれる勇壮な寒行です。古くは御嶽行者の修行として行なわれていたが現在は一般の青壮年達が草越区内の辻で寒水を浴び、無病息災や家内安全を願って熊野神社に詣でる祭りとなっています。
草越の寒の水