日本の屋根と言われる標高の高い長野県では、動植物や山の幸、黒曜石資源に恵まれたことから、5000年前の縄文中期には全国でもっとも多くの遺跡が残されています。
さあ、浅間南麓の縄文ワールドを旅してみましょう!
浅間南麓の縄文文化
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土器は人類最大の発明のひとつともいわれています。なぜ?
私たちの暮らしに、もし“うつわ”がなかったら?
温かいスープも作ることができないし、食べ物を盛ったり、貯蔵したりすることもできません。また、土器で煮込むことで食べ物がやわらかくなり、様々な味付けができました。殺菌効果もありました。
今から1万6000年前に登場した縄文土器は世界最古級の土器のひとつで粘土をこねて火で焼き上げた"土と炎の芸術"です。
長い縄文時代には、ユニークな形の土器がつくられました。
▲多様な形、デザインの縄文土器
浅間南麓の縄文文化
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縄文時代には金属の道具がなく、石器がさまざまな暮らしを支えていました。
縄文人は黒曜石などガラスのように切れ味のいい石を手に入れ、すぐれた技で石器を作り、狩りや食べ物の調理、木材の加工などの仕事をしました。
▲石器(石匙・石錐・矢じり)
浅間南麓の縄文文化
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狩りと植物採取によって縄文人は食料を得ていました。
また最近では一部で植物栽培も行われていたという説があります。
浅間山麓の縄文人たちがもっとも好んで食べていたのはシカとイノシシです。また、彼らが食べたクマ、カエル、カワシンジュガイ、木の実ではドングリやトチノミなども遺跡から出土しています。
▲狩りで食された動物の骨や貝殻
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縄文人はファッションにも気を配り、ヒスイのペンダントや土製のピアス、クシやカンザシも身につけていました。
信仰の対象としては土偶や石棒なども作っています。
▲縄文時代の装飾品
展示物の近接撮影写真は小川忠博氏の撮影
5000年前、浅間山麓に暮らした縄文人たちは、派手な装飾をたくさんつけた奇妙な土器を作りました。
焼町土器と呼ばれるその縄文土器は、ドーナツ状の突起、曲線、点などで埋めつくされるのが特徴です。
川原田遺跡から出土した焼町土器は、日本の縄文文化を代表する特徴のある土器のひとつとして国の重要文化財に指定されています。
あわせて当時の生活用具である矢じり、石匙、石錐、打製石斧、磨製石斧なども国重要文化財として特別展示室に展示されています。
展示物は全て実物で、免震構造の展示室によって守られています。
展示物の入れ替えなどにより、展示が写真とは異なる場合がございます。
当ウェブサイトでは、360°カメラで撮影したこの特別展示室の全方位ビューと、RealityScan®を用いたフォトグラメトリによる重要文化財焼町土器の3Dモデルを公開しています。
RealityScanはEpic Games, Inc.の商標/登録商標です。